多くのメッセージを頂いています

ブログを投稿してから、何人もの人からメッセージを頂いている。

ベンチャーで働く人、精神疾患を患った人、激務で体調を崩した人、家族・友人・同僚が病気になった人。

病気にならないまでも、精神的に消耗したり衰弱したりする人も多い。

やはり自分も体調を崩した身だから、他の方がどういった経緯で病気になったかが気になるものだ。

 

成果が出ないで罪悪感を感じる?

そんなメッセージの中で、一つ気に留まったものがある。

とある地方のベンチャー経営者からのメッセージ。

中々成果が出なくてVCに対して罪悪感を感じる

というもの。

読者の中にも、仕事で成果がでなくて、「罪悪感」を感じた経験のある人もいるだろう。

僕もかつてはそうだった。求められた課題に対する自分の成果が期待を大きく下回るとき、責任を通り越して「罪悪感」にまで到達してしまう。

でも、現時点での自分の能力で出せる成果がそこまでなのであれば、その結果を無感情にただ受け入れるだけにしておこう。

倫理的に誤ったことをしているわけでもないのに「罪悪感」なんて感情を抱くのは、ただただ健全な精神を傷つけるだけだ。

 

周囲からの評価を気にすることをやめる

僕はそれなりに達成意欲が強い方だ。目標未達の自分が大嫌いだったし、「自分という存在は目標を達成していなければならない」という執着も持っていた。

だから、一介の社員だったときも、役員をやっていたときも、自分の目標が達成できていないときは本当に辛かった。

辛かったというより、そういう自分が嫌だったのだ。

それと、正直に白状するけど、これまでの僕は「会社に対して申し訳ない」という気持ちよりも、「できないやつと思われたら嫌だ」という気持ちのほうが強かったのだ!

「自己認識」と「他者の認識する自己」とのギャップが、哀れにもアイデンティティを脅かすことがあるのだ。もちろん、会社に対して申し訳ないって気持ちもあったけどね。

でも実は、ここに落とし穴がある。何かというと、「他者の認識する自己」もまた「自己認識を投影した虚像にすぎない」ということだ。

「他人が自分のことをどう思っているか」というのは、つまるところ「自己認識」の延長にすぎない。他人がホントのところどう思っているかは絶対に真実を知り得ないのだから。

僕は、病気の療養期間、毎日瞑想を続けてきた。瞑想を通じて、いかに「他者の自己認識」に自分が勝手に苦しんでいるかを知った。瞑想中の雑念の多くは、「自分があの人にどう思われてるか」だったのだ。それに気づいたときはさすがに笑ったね。

「なぜ自分は、自分が作り上げた虚像に苦しめられていたのか!」と。

もうやめよう、虚像に苦しめられるのは。

上司も同僚も誰もかも、「目標達成できないやつは悪だ!」なんて思ってないよ。

仮に本当に思っていたとしても、「思ってない、と思ったらいいよ」

 

健康を維持できる範囲内で責任を全うする

前置きが長くなったけど、僕が病気の後にどう思考を改めたかは下記のとおりだ。

  • 自分の健康を維持できる範囲内で責任を全うする
  • 精神の健全さを害すほどの「責任感」は持たない
  • 上記2つのラインを超えて要求してくる人とは付き合わない

 

いろんな会社があって、中には強いコミットを求める会社もあるだろうけど、それはあくまでも「あなたの健康の範囲内でしっかりがんばってね」ってこと。

もし自分がそれ以上のこと、つまり「健康を維持できない働き方」を求められているなと感じたら。

とっととその会社はやめてしまおう。

毎週末に趣味を満喫して遊ぶことがあなたの健康を保つ秘訣なら、「目標達成してないのに土日に旅行に行ってるなんてけしからん」なんて言ってくる上司は「人でなし」だと思えばいい。