病気や不調に悩む当事者と関係者に向けて

先日の一連の記事(未読の方はこちら)では主に僕が携わった事業や働き方について書いてきた。

今回は、メンタル疾患の病気にかかった以後のことを詳しく書いてみたい。

個人的な体験を、第三者にも参考にしてもらえるように書くのは結構難しい。それでも、これから書く一連の記事では、メンタル疾患(疾患でなくとも何らか心身に不調がある)の当事者とその関係者に僕なりに伝えたいメッセージを込めるつもりだ。

前回同様長い記事になってしまったけど、時間があるときに読んで頂けると嬉しい。

 

病気であることの未自覚

メンタル疾患になった場合、病院にかかる前に「自分が病気である」ことを自覚する人はどれぐらいいるんだろう。

頭痛や動悸など自覚可能な症状が出ていたとしても、まさか病院に行って「病名」を付けられるとは思っていない人は多いかもしれない。なぜそう思うかと言うと、まさに僕自身がそうだったからだ。

僕が体調不良をうったえて最初にとった行動は「通院」ではない。「実家に帰って休養する」だった。

そう、僕には自分の症状に「病名」が付いているという発想が微塵もなかったのだ!

なぜなら、「まさか僕がメンタル疾患になっている」とは一切思ってもみなかったし、僕の病気(双極性障害2型)の僕の症状の場合、いわゆる「うつ病」のようなひどい気分の落ち込みはなかったからである(少なくとも自殺願望は一度も抱かなかった)。

今、2年経って客観的に振り返ってみるとおかしいことだ。働けないぐらい身体的な症状が出ていれば、何らかの病気にかかっていてもおかしくないと普通は思う。でも、当時の僕の心境を踏まえると、そう思っても仕方ないぐらい勘違いをしていたのだ。

 

病気に無自覚な当事者の心境

当時の僕の心の声を端的に表現してみる。

自分が精神疾患のはずがない!僕の精神はあくまでも健康だ!疲労とストレスで身体が参っているだけだ!

これだ。この強烈なまでの精神疾患に対する拒否反応。健常である、あらねばならぬ自己像への執着。

当時はこの心境を自覚してさえいなかった。無自覚に、このフィルターを通して自己認識していたので、「病気であるかもしれない自分」という発想が出てこなかった。深層心理には、「精神疾患への恐怖」と「強くありたい自己像」があったんだろうと思う。

 

病気を受け入れることが治療の第一歩

今、治療のプロセスを書いている。冒頭にこの事実を持ってきたのは、「病気であることを受け入れる」ことから治療が始まるからだ。

福岡の実家に帰って、東京の職場から離れた僕は、少しだけ心身が楽になっていた。家族は、僕の仕事の成果の良し悪しなんて関係なく僕を受け入れてくれるし、自分以上に自分の健康を心配してくれる存在は気持ちを楽にしてくれた。

一週間ほど実家で休養して、英気を養ったつもりの僕は、週末に東京に帰ってきた。翌週からまた出社するつもりで。そしたらどうだろう、日曜の夕方からまた強烈な頭痛と吐き気が襲ってきた。当たり前だけど、実家で数日過ごしただけでは治るものではなかったのだ。当然だよね、本当。

その後、心療内科の受診を勧められた僕は、診断の結果、「双極性障害2型」であることが判明した。

 

病気と診断されたときの反応

ここまで病気を受け入れることへの抵抗を書いてきて、あっけない思いを抱く方もいるだろうが、上記の診断をくだされた僕は、すんなり病気であることを受け入れることができた。

ひどい頭痛や吐き気、動悸、その他多くのツラい症状に悩まされていた僕は、病気であることを認めたくない一方で、「早く楽になりたい、症状から開放されたい」と強く思ってもいた。医師から病気を診断されたことで、「早く良くなりたい」という思いが救いを見いだしたんだろう。

病気であることを受け入れた僕は、スッと心のつっかえが取れて気が楽になった。

なんで病気であることが分かって「気が楽」になったのかと言うと、

診断を受けて開き直れた

僕の場合、医師の問診の結果、病気を特定されたのではない。脳の血流の数値を調べて病気の判定を行う「光トポグラフィー」という検査を行った結果、病名の特定がなされた。医師や専門家によって見解は異なると思うが、僕は問診よりも客観的で信頼が置けると思ったし、実際、数値やグラフで示されると妙に納得してしまった。検査結果のグラフを医師と一緒に見ながら病気の説明を聞かされると、もはや反論の余地もない。「なるほど、こんな病気になってたから、こんな症状が出てたんだなー」と、開き直れて強がってた肩の力が抜けた。

 

具体的な治療法が明確になった

病名が分かれば、具体的な治療法も明確になる。これまで漠然としかとらえられていなかった心身の不調に、症状が改善されることへの希望が芽生えた。これは不安しかなかった自分にとって、大きな心の支えになったと言える。

 

休むことへの後ろ盾を得た

病気と診断されると、医師から診断書をもらえる。診断以前は、ただ漠然と「心身の不調で・・」としか表現できなかったものが、「○○という病気なので」と言える。それは、「休む」ことへの後ろめたさのあるワーカホリックにとって、強力な後ろ盾になる。幸い僕の場合、周囲の同僚が理解ある方々だったので苦労はなかったが、「休む自分」や「退任する自分」を自分に納得させ、進退を明確にする判断材料にもなった。診断を受けてしばらく考える期間は設けたものの、最終的に役員を退任して療養に専念するという決断をした。

 

「受け入れる」ことで治療に専念

このような過程で病気を受け入れるに至った僕は、その後は医師の話しを良く聞き、治療に正面から向き合った。

僕が行った治療は、TMS治療という治療法で、一般的な薬物療法とは異なる。ただ、僕は専門家ではないのでここで治療に関する詳述は避けたい。

結論から言うと、治療の甲斐あって主だった症状は解消されていった。症状の改善が進むと、気持ちも少しずつポジティブになれる。TMSの治療期間は1〜2ヶ月ほどで、仕事をしていない限りは症状を自覚することはなくなった。

ただし、それでも「また働ける」ようになった訳ではない。

そんなにすぐに回復できるほど、簡単な病気ではなかった。

でも、病気であることを受け入れたことで、その後の通院や治療は抵抗なく、むしろ早く良くなりたいので積極的に行うことができた。もっと早く受診しても良かったと思うほどだ。ここまでひどくなる前に受診していたとしても、何らかの診断は下されたんではなかろうか。そうすれば、大事に至る前に自分の健康と向き合えたかもしれない。

 

「未病」段階でも診断を受けよう

先日の記事でも書いたが、読者の中で少しでも心身に違和感がある人は、とりあえず心療内科に行ってみることを強くオススメする。自分でなくとも、周囲に思い当たる家族や同僚がいたら、そっと声をかけてあげて欲しい。

通院に抵抗があるなら、カウンセラーに話しをするのも手だろう。仮に病気でなかったらそれはそれで安心だし、自分の中にストレスを溜め込むよりは、医師やカウンセラーに弱音や愚痴をこぼしたほうが100倍マシだ。

家族や同僚はあなたの愚痴を毎日聞かされると辟易するかもしれないが、医師やカウンセラーはそれを仕事として対処してくれる。話さない手はない。

心療内科やカウンセリングに通うことに、妙な抵抗を持たないこと。

弱音や愚痴を話しに行くぐらいの気楽な気持ちで行ってみる。

そして、病気と診断されたら、医師や専門家の話しをよく聞いて、治療に専念することが肝要だ。

 

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