人生は、さまざまな「選択」の組み合わせで編まれていきます。例えば、働き方や仕事、キャリアパス。ワークライフバランスや結婚、住む場所。選択肢が多様化しているこの時代、自分は何を選択するのが「正解」なのか、迷い、もがいている人も多いかもしれません。

「転職や副業、移住や結婚など何でもそうですが、人生の選択肢に正解はない。選んだ道を正解にしていくことが人生だと思うんです。」

そう話すのは、「複業研究家」の西村創一朗さん。

3児の父、複業研究家、HRマーケターと「複業」の働き方を自らが実践しています。
迷いなく自身の選択をしているように見える西村さんですが、「人生の選択肢に正解はない」と心から言い切れるようになったのは、最近のことだそう。

西村さんのキャリア観ができるまでの過程を、じっくり語っていただきました。聞き手は
、YOUTURNの中村。3部構成でお届けします。第一部は、西村さんが19歳でパパになってから、新卒でリクルートへの入社を決めるまでのストーリーです。
 

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19歳でパパに。大学生活のゴールは「良い就職」

中村:西村さんのキャリア観や働き方は、これまでの人生でどのように築かれてきたんですか?

西村:実は物心ついたころぐらいから、将来の夢は「世界一かっこいいパパになること」だったんですよ。将来子どもにはこの名前をつけるぞって小1から決めてるくらい。

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中村:めちゃくちゃ具体的じゃないですか(笑)

西村:いわゆる反面教師というやつですね。父親がいわゆる昭和的な、家事育児を一切やらない人で、家族からも怖がられていました。

「自分がいつか父親になったら絶対こうはなりたくないし、奥さんとも仲良く、子どもからも愛される父親になりたい」と思ってきたなかで、19歳でパパになりました。いわゆる授かり婚で。

中村:結婚しない選択をする方も、いるじゃないですか。それを、19で踏み込んだっていうのはどういう?

西村:僕らの場合は「結婚しない」という選択肢はなかった。はじめて本気で好きになったのが今の妻だったんです。いつか大学を卒業して安定したら結婚したいねと話していたので、もちろん焦ったし大変だったんですけど、決断に迷いはなかったですね。

中村:両親も後押ししてくれたんですか?

西村:いや、妻のご両親からは大反対されました。

妊娠がわかった日、奥さんの実家に二人で話をしにいったんですけど、お義母さんはずっと泣いていて。僕はひたすら廊下で土下座して「めちゃめちゃ頑張って、大学もやめてがむしゃらに働いて養うので、お願いします」と言い続けて。

後日、改めて妻の両親と、僕の母親とその頃には離婚していた父親を交えて、家族会議の時間を持つことになりました。

中村:そんな歳から「ハード・シングス(※1)」やってるんですか。

西村:完全にハード・シングスですね。人生最強の最終面接ですよね。あんな面接くぐりぬければ、就活の面接なんて一ミリも怖くなかったですね。(笑)

中村:家族会議の着地はどのように?

西村:最終的には許可してくれました。

妻の両親は、僕が母子家庭で生活保護を受けながら苦労して大学に入ったと知っていて。「苦労して入った大学を投げ捨てて働く、それほどの覚悟ができてるなら大丈夫だろう」という判断だったそうです。

ただ、生まれてくる子どもの幸せを考えると、大学を卒業して就職したほうが良いと言われて。大学生活を続けながら結婚することになり、家族会議の翌週には一人暮らしのワンルームマンションを出て、妻の実家で生活をスタートさせました。

中村:何もかも変わったんですね。人生観や働くことの意味も、変化しましたか?

西村:ガラッと変わりました。それまでは、いってしまえば自分ひとりの人生、どうしようが自由だったわけですよね。

それが家族ができて父親になるなかで、「絶対に稼げる人にならねば」という決意と「仕事を通じて子どもたちにどれだけいい社会を残せるか」という意識が生まれました。

このときから僕の大学生活のゴールは、「良い就職をすること」になったんです。

大学一年の後期から、早くも本気の就活モードです。当時は公務員を目指していて、毎日欠かさずに日経新聞を読むようになり、行政ゼミに入ってひたすらOBOG訪問をしていました。

※1……「ハード・シングス」:起業家・ベン・ホロウィッツ(Ben Horowitz)の著書タイトル。起業家時代のホロウィッツには、これでもかというほどの困難(ハード・シングス)が次々と襲った

 

不登校の中学時代、恩師から贈られた言葉

中村:ちなみに、公務員を目指したのはなぜだったんですか?

西村:高校生のころから「国のおかげで生きて来たから、国に恩返ししたい」という気持ちを持つようになって。「国家公務員は国民全体の奉仕者である」って憲法に書いてあるのを知って、公務員になろうと思ったんです。

中村:高校生の時に。背景が何かあったんですか?

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西村:僕は中学生の頃に不登校だった時期があって、高校に行くつもりもなく、毎日昼はゲームセンターに入り浸り、夜はインターネットにのめりこむような中学生だったんですよ。変わったきっかけは、中学3年生のときの担任の先生の言葉で。

それまでの僕は、「神様は何で俺をこんな家に産み落としたんだ」「なんで俺だけ母子家庭で母親は病で働けなくて生活保護で、こんなに不幸な家庭なんだ」って他責にしてたんですよね。

担任の先生はそんな僕に、ケネディ大統領の就任演説の言葉を贈ってくれたんです。

「国が自分に何をしてくれるかではなく自分が国に何をできるかを問いたまえ」という言葉なんですけど、それを聞いた瞬間、僕の中で世界が一気にガラッと変わって見えて。人生がうまくいかないことを他責にするのを辞めて、心身がボロボロになるまで産み育ててくれた母親に恩返しできるような人間になろう、と。

そこから猛勉強をして高校に進学し、公務員になるために法学部を目指すことになるんですけど。

自分が何かを環境や人のせいにしたり「まあいっか」と逃げそうになると、「それでいいのか?」と自分に投げかける癖がつきました。これは、今の自分にもつながっています。

中村:その先生もすごいし、その一言で西村さんが変わったというのもすごい。たしかにこれまでの西村さんのお話を聞いていると、内省を繰り返しながら物事にまっすぐ向き合う人だと感じます。

 

「公務員は向いていない」と気づいて

西村:ところが、大学一年生でいざ就活を始め何十人もの方にOBOG訪問をしまくって気づいたのは「自分は公務員に向いてない」ということだったんです。

中村:へぇ、それはなぜですか?

西村:当時、訪問したOBOGに「なぜ公務員になったんですか」ときくと、十中八九は「安定してるから」という答えだった。すごく生意気ですけど、自分の安定を第一に仕事してるのかと思ったら、一緒に働きたくないと思っちゃったんですよ。

今は、自分のことは二の次で世の中のことを考えて働いている公務員の方がいっぱいいることは知ってるんですけどね。

中村:公務員は違うと思ってから、目指すキャリアをどう組み直していったんですか?

西村:たまたま大学2年生の時、ソーシャルビジネスがトレンドになりました。ムハマド・ユヌスがノーベル平和賞を受賞して「貧困のない世界をつくる」がベストセラーになったんです。

今まで社会課題を解決するというと公務員しか選択肢がなかったけれど、ビジネスの力で社会課題を解決するっておもしろいと思って。NPOにも関心を持ちました。

大学2年生の終わりごろからは、父親支援事業を行うNPO法人「ファザーリング・ジャパン」でインターンをさせてもらうことになりました。

ちなみにこのNPOを知ったきっかけは、公務員就活をきっかけに毎日読み続けていた日経新聞から。

 

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加えて当時の僕は学生パパで家族を養うこともできず、幼い頃から思い描いていた「理想のパパ像」との乖離に悩んでいました。だからこそ、ファザーリングジャパンの「笑っている父親になろう」というメッセージも深く刺さったんです。

中村:人生、なんだかつながるものですね。connecting dotsじゃないですけど。

西村:まさにまさに。

 

ワークライフバランスは、自分で選び取るもの

中村:西村さんは、新卒でリクルートに入って働くことを選んでるんですよね。

西村:はい。自分にとって一番大事だったのはやっぱり家族。「仕事も頑張るけど家事・育児も頑張る」というのが理想だったので、「ワークライフバランス」は自分のキーワードでした。

周囲の人もそれを知っていたので、僕がリクルートに行くと知って驚いていましたね。それでいいの?リクルートって、めちゃくちゃ働くでしょ?って。

中村:そう思いますよね。また、なぜその決断を?

西村:僕がいろんな人に話を聞いて得た結論は、「ワークライフバランスは会社から与えてもらうものではなく、自分で作り上げるものだ」ということでした。

実績と信頼があるから早く帰っても何も言われないし、主張ができる。

ワークライフバランスを獲得するために必要なのは「自己成長」だと思って。そのための環境としてリクルートを選びました。最初はがむしゃらに働いて「実績」と「信頼」を獲得したうえで、ワークライフバランスをつくりにいこうと思った。

中村:おもしろいですね。どういう経験から、その発想に至ったのですか?

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西村:ワークライフバランスを「作り出している人」と「与えられている人」それぞれの話を聞くと、作り出している人は「こんな働き方を許してもらってありがたい」など感謝を口にするんですけど、後者の人は不満を口にする。

「対外的にはワークライフバランスとか育休取得率とかいってるけど、実際はそんなことないよね、上司の理解がさ…」などと言うわけですよ。この差はなんだろうと考えると、それは勝ち取っているか与えられているかの違いだった。

中村:不満に共感する人も多いと思いますが、西村さんがそこに違和感を持ったのはなぜなんでしょうか。

西村:かっこいい大人をたくさん知っていたことが、大きいと思います。

僕が会う大人みんなが他責の不満を口にするタイプの人ばかりだったら、まあ働くってこんなもんかと、飲まれてたかもしれない。

でも、例えばファザーリング・ジャパンの先輩方みたいに、プロアクティブにワークライフバランスを勝ち取ってる方達ってみんなめちゃくちゃ生き生きしてるんですよね。

仕事もあって家庭もあってかつNPO活動もしているエネルギーあふれている方達で、何かよくないことが起きたときは「じゃあどうよくする?」とポジティブ思考で考える。

それがかっこよかったから、「自分はこうありたい」と思えたんです。

中村:西村さんは、リクルートに入る以前にインターンや就活を通してファーストキャリアをつくれてるんですね。ファーストキャリアで形成される価値観ってめちゃくちゃ大きいですよね。

西村:大きいですね。「プランド・ハップンスタンス(※2)」じゃないですけど、本当に偶発的な人との出会いによって人生やキャリアって作られるんだなと思います。

※2……プランド・ハップンスタンス:1999年にスタンフォード大学の教育学・心理学教授であるクランボルツ教授によって提唱された、キャリア形成に関する理論。 日本語では「計画的偶発性理論」「計画された偶然」などと訳される

 


続く第2部・3部では、西村さんがリクルートに入社してから複業・独立を選んだ背景や、キャリア観の変化をお伝えします。

 

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著者プロフィール

YOUTURN編集部
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