結婚し、子どもが生まれると、仕事以外の優先事項が増えていきます。時には、家族の事情や子育て環境を考慮したライフプランの見直しが必要です。

 

東京出身の宮元さんは、映像プロデューサーとしてのキャリアプランを立てつつ、子育てのため実家近くにマンションも購入しました。しかしその直後、縁のなかった福岡へ移住することになります。

 

現在、授乳期のママに向けた商品を販売するAMOMA(株式会社ボーダレス・ジャパン)で働く宮元さんに、移住の経緯と、福岡で模索したキャリアチェンジについて伺いました。

 

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東京でずっと働くつもりだった

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ー子どもの頃から映像制作の業界を目指していた宮元さんは、大学卒業後、株式会社博報堂プロダクツに入社します。

 

卒業後の進路として、最初はディレクターや技術職もありかなと思っていたんですが、大学時代の映像制作の経験から、性格的に制作業の方が向いていることに気づきました。

 

それでプロデューサー職を目指して、就活ではテレビや映画業界、広告と色々受けました。最終的には、教授に「一番制限があるところで働いておけば、転職後も役に立つよ」と言われ、広告業界へ。入社後は、ほぼ昼夜逆転の生活でしたね。

 

ー当時は、ご自身のキャリアをどのように考えていましたか。

 

3~4年目で転職するか、しばらくがんばってCMプロデューサーになり、キャリアを積んでから転職するか、どちらかだと考えていました。

 

3年目で客観的に自分の経験値を考えると、ここでキャリアを中断させるのは勿体無いなと思ったんです。このまま働き続けて知見を広げ、プロデューサーとして1・2年キャリアを積んだ後に結婚して、30歳前後で出産し育休を取りたいなと。その後の進路は職場復帰してから、また改めて考えようと思っていました。

 

ー東京でのキャリアプランを立てていた宮元さんが、福岡に移住を決めた経緯を教えてください。

 

出産が計画より早くなり、26歳の時に1人目の子供が生まれました。その翌年、東京の私の実家近くにマンションを購入。夫も同業で忙しかったので、実家近くに住めば最悪ワンオペでも育児と仕事の両立はなんとかなるだろうと思っていました。

 

そしたら引っ越して早々、夫が「いずれは自分の両親の近くに引っ越したい」と言い出したんです。彼の実家は鹿児島なんですよ。「家買ったばかりなのに、今言うか」と思いましたね(笑)。

 

でも、夫は大学からずっと東京にいて、年2回実家に帰れるかどうか。彼の両親の年齢を考えると「元気なうちに孫と何回会わせることができるか」と考えたみたいで。それを聞いたら、「親への想い以上に優先させなきゃいけないことって、ないよなあ」と思いました。

 

ー福岡に移住すると、今度は宮元さんのご両親と離れてしまうわけですが、そこに対してはどう思われましたか。

 

幸いなことに、うちの両親は夫の両親より10歳ぐらい若いので、まずは夫の家族を優先しようと。他にも子どもの将来や自分のキャリアのことなど、全く悩まなかったわけではないですが、まあ自分たちのことはどうにかなるかな、という感じでしたね。

 

3年の準備期間で移住プランを作成

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ー移住の話が出た翌日、宮元さんは東京にいるメリットとデメリット、福岡に行くメリットとデメリットを書き出しました。具体的に、どんなことを書かれたのでしょうか。

 

まず最優先に「子どものこと」、次に「自分の親のこと」、最後に「キャリアのこと」と3軸で考えました。当時、周りの人からよく言われたのが、東京の方が教育の選択肢が多いということ。

 

自分の経験も踏まえて、東京で子育てした場合の教育環境や育ち方、お金のかかり方など、いろんな観点から書き出しました。

 

私が東京出身でつらかったのが、実家も働く場所も友達の幅も、全部東京で逃げ場がないことです。地方出身の人は、仕事でしんどくなっても帰るところがある。ふるさとにも友達がいたり思い出の土地があったりして、それって精神衛生上すごくいいんじゃないかと考えました。

 

ー反対に、移住のデメリットとして書いたことは。

 

自分のキャリアへの不安が大きかったですね。年収も下がるだろうし、そもそも職種がそんなにあるのかどうか。

 

多分東京より幅は狭いんだろうと思いましたけど、でも両親にもっと多く会いたいという目的を考えたら、天秤にかけるほどでもないなと。仕事は、自分の頑張り次第でいかようにもなっていくだろうと思っていました。

 

ーご主人の実家がある鹿児島ではなく、福岡に移住を決めたのはなぜでしょうか。

 

夫いわく、生活スタイルや業界のギャップの少なさを考えたら、福岡の方がいいんじゃないかと。福岡から鹿児島までは車で2~3時間で行けるからということで、じゃあ福岡で、となったんです。

 

その際、ひとつだけ条件を出しました。私は仕事を続けたいし、東京の実家からも離れるから、ワンオペ育児は絶対無理だと。夫の「ご両親を含めて、家族と過ごす時間を大事にしたい」って気持ちはすごくいいと思うから、それをちゃんと私達にも還元してくださいねって(笑)。

 

なので、「2人とも仕事と育児を両立できる環境を整えよう。今の業界でそれが無理なんだったら業界を変えるか、職種を変えるっていう選択もお互いに検討しよう」と言いました。

 

そうなると、絶対に準備期間が必要です。長男が当時0歳で、小学校入学前には移住したいと考えたら期限は最長で5年、短くても3年。話し合って、移住目標をオリンピック後の2020年9月にセットしました。

 

そこに向けた3年間のスケジュールと、各年ごとにやらなきゃいけないこと、決めなきゃいけないことを書き出し、細分化して、月ごとに落とし込んでいく作業をしました。

 

―まるで家庭内プロジェクトマネージャーですね!

 

当時は育休中だったので、仕事したい欲がすごかったんだと思います(笑)。その時点で第二子、第三子も考えていたんですが、前職の後輩のためにも、女性が子育てしながら現場復帰する例を作っておきたかったので、年子(としご)の選択肢はありませんでした。

 

また出産時や新生児期は自分の両親の手助けが必要ですし、移住する時に第二子も歩ける月齢じゃないと引越しが大変だったり、卒乳してないと保育園へも預けにくい。そこで2020年に第二子が1歳になっているよう、逆算して妊活することにしました。

 

そうすると、第一子の育休復帰後、次の産休まで1年弱しかありません。期間が明確に決まったことで復帰後の限られた時間の中で自分が何を身につけて、どのようにステップアップすべきか目標が立てやすく、会社との交渉もやりやすくなりました。

 

参考:宮元さんの出産時期を加味した移住スケジュール

2018年4月:職場復帰

2018年11月頃〜:妊活

2019年7月〜:産休・育休

2020年8月:退職(育休からそのまま退職)

 

子育て経験を活かしたキャリアチェンジ

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ー宮元さんは2020年1月、2人目のお子さんの育休中にYOUTURNに登録します。他の転職支援サービスと比べて、どんな印象を持たれましたか。

 

先に3社ぐらいお願いしている会社があったんですが、全然いい案件もないし何も進んでいる感じがしなくて。そんな中でYOUTURNの高尾さんとお話してみたら、汲み取り力や段取りも含め、やりとりの内容が郡を抜いて素晴らしかったんです。

 

「やっと信頼してキャリアを任せられる人が現れた」と、すごくホッとしたのを覚えています。

 

ー高尾からボーダレス・ジャパンの紹介があった時、一度は断られたそうですね。

 

最初は、企業の意識が高すぎて自分には無理だと思いました。長年、社会問題の解決に真摯に向き合ってきた会社に、私なんかが入っていいんだろうかと。

 

その数週間後に知人から「福岡で友達が事業やってるよ」と教えてもらって、それがボーダレス・ジャパンだったんです。しかもその夜、カンブリア宮殿にも会社が出ていて、「わー、出たー」って(笑)。

 

本当にすばらしい会社だなと思いながら番組を見ていたら、AMOMAの事業が紹介されていました。

 

私、妊娠中にAMOMAのケア商品を使っていたんですよ。転職先候補として企業サイトを見たこともあったんですが、「フェアトレードを通して、ミャンマーの貧困農家の方が安心して暮らせるようにする」というソーシャルコンセプトに対して、やっぱり尻込みしてしまって。

 

すると、数か月後に高尾さんから「AMOMAはどうですか?」と聞かれました。ここまで来ると、さすがに縁を感じるじゃないですか。

 

AMOMAでは、ミャンマーで栽培したハーブを使ったハーブティやアロマを、授乳期のママに向けて販売しています。その為、顧客である多くのママから、授乳や子育てに関する悩みが寄せられるそうで。

 

よく考えてみたら、私も出産して、他の人と同じように授乳に悩み、子育てと仕事の両立に苦労している。つまり私も当事者の1人で、子育て中に感じる壁の1つ1つが、実は社会問題なんじゃないかと気づきました。

 

自分の経験がビジネスに生かせて、結果的にミャンマーの人たちに貢献できるんだとしたら、すごいことだなと。だんだん、AMOMAやボーダレス・ジャパンのソーシャルコンセプトに共感するようになりました。

 

年収よりも優先したかったこと

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転職活動において、企業コンセプトに共感することは重要なポイントです。一方、キャリアチェンジによって、年収が下がることへの葛藤はありませんでしたか。

 

確かに下げすぎかな・・と思うところはありました。実はAMOMAの前に、年収がそんなに変わらないメディア領域の仕事も受けていたんですよ。

 

でもそこの面接で、「現場に子育て中の女性はいますか」と聞いたら「いません」ということだった。さらに、会社を出る時間がだいたい22時ぐらいと言われて、この業界だとやっぱりそうなるんだと思いました。

 

仕事と子育ての両立ができなかったら意味がないから、年収は譲歩すべきかなと考えていたところでの、AMOMAだったんですよね。AMOMAは子育て中のママが多く、時短勤務制度を使っても他のメンバーに引け目を感じることがない。

 

みんな家族との時間を大事にしてるし、ママ友にもなれる。何より、成長意欲や志が高く、「この人達と一緒に働きたい」と思えました。それとは別に、ファイナンシャルプランナーにどのぐらい年収を下げても大丈夫か、相談もしていました。

 

家族構成や希望の生活水準、将来的な貯蓄を踏まえた上で、移住後の年収がどの程度であれば問題ないかなど、かなり細かくシミュレーションしてもらったんです。AMOMAの提示額がその範囲内だったことも、背中を押してくれました。

 

ーAMOMAでは、どんなお仕事をされていますか。

 

基本的には、みんなでいろいろやってます。AMOMAには名刺がなくて、決まった肩書もないんですよ。社長もいなくて、基本は全員が事業責任者という形で、フラットにやっています。

 

一応、私は「広告モール担当」で、今はECサイトのテコ入れをメインにやっています。AMOMAの販路には自社webサイトと、楽天やAmazonなどがあるんですけど。最近自社サイト以外の売り上げも伸びているので、そのページ改善などをしています。

 

ー前職の映像の世界から、仕事がWeb寄りになることに、抵抗は感じませんでしたか?

 

むしろ、Webの知見も深めたいと思ってAMOMAに入りました。今はもう、テレビだけ、Webだけ、紙だけと、1つの領域で戦うことが難しくなっています。ここでECのノウハウを身に付けて、Webの売りポイントや勝ちパターンを身につけたいと考えています。

 

ー最後に、福岡に移住して感じたギャップがあれば教えてください。

 

思ったよりないですね。福岡には東京と同じお店がたくさんあるし、病院も公園も多いですし。海も山もあるし、食材も豊富なので、食育にもいいと思います。スポーツは勿論、アートや音楽、科学などのイベントや習い事もたくさんありますし、東京でなくても色んなことに触れられる機会は十分あると感じます。

 

ー育児と仕事の両立はどうですか。

 

移住してから夫がすごく頑張って業務時間を工夫してくれているので、2人で家事育児ができています。私もかなり楽になって、子供への接し方も変わってきました。

 

自分に余裕があるから、「早くして」とか「やっちゃダメ」もあまり言わなくなりましたね。残業もないですし、もっと早く福岡に来ればよかったと思うぐらいです。

 

移住して、一番変わったのは子どもかもしれないですね。すごく伸び伸びしています。東京では、公園に行っても絶対に裸足にならなかったんですよ。今はどこでも靴を脱ぐし、よじ上っていくし、保育園も園庭が広いからか「行きたくない」と言わなくなって。

 

本当、今こんな生活ができているのはYOUTURNのおかげですよ。すごくいい出会いだったなと思います。

 

執筆後記

 

宮元さんは、人生における最優先事項を「家族」に設定した上で、移住までの期限を決め、キャリアチェンジに成功しました。客観的にメリット・デメリットを洗い出し、綿密な計画を立てた宮元さんの方法は、参考にできる部分が多いのではないでしょうか。

 

YOUTURNでは、キャリア以外のライフプランも含めた、人生を豊かにする転職支援をおこなっています。移住時期が決まっている人も、そうではない人も、お気軽に一度ご相談ください。

 

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著者プロフィール

YOUTURN編集部
YOUTURN編集部
株式会社YOUTURNは、首都圏でキャリアを積んだビジネスパーソンと、福岡で社会課題の解決に挑む企業とのマッチング事業を展開する会社です。スタートアップ都市として芽吹きつつある福岡のベンチャー企業、地場の優良企業への移住転職で、キャリアアップとQOLの向上を実現してみませんか?